War of the Worlds/ 宇宙戦争

 再びレイトショーを観に行ってきました。最近は映画に行く機会さえなかなか無いので二度も映画を観ることは稀かも。映画館に着く前から体が踊ってましたよ。

 やはり最高の視点演出でした。すばらしい画を作っていました。


 侵略宇宙人といえば演出方法はパニックに限りますね。じゃないと相手の存在の巨大さがでない。ただ、この手の映画をやると皆、せっかくの規模の大きい舞台だからって何から何まで見せようとするのが悪いところ。例えば、軍の動きを描いてみたり、世界のあちこちの場所を見せてみたり、果ては軌道上の宇宙人の円盤の中まで描いてみたり。これではエンターテイメントで終わってしまうだけですよ。

 この映画の素晴らしいところは、カメラ(視点)が常に主人公の傍に居るところ。主人公が見たもののみを映し、聞いたものだけを聞かせる。それだけ。それだけなのですが、2時間以上もの長い映画でこれをやるとなると、監督に余程自信があったか、意欲があったかでしょう。今の時代、よく撮らせて貰えたなと思います。

 日本では何故か、せいぜい短編を纏め上げるくらいの力しかないのに、好きに映画を作らせてもらえてる人が居ますが。(押なんたらとか、なんたら友とか)


 最初のニューヨーク市街のシーン、日本人が観たら思いっきり昔の怪獣映画(笑)ですが、怪獣映画になっていないのは臨場感を最大限に演出したからでしょう。とにかくILMが全く隙を見せない。加えてあの視点。あのトライポッドを見上げるカメラのシーン。あれが全てを物語っています。『現実の光景は小さなカメラの枠に収まらない』と言いたげな、最高のシーンです。

 トライポッドのデザインはまあ、邪魔にならない程度のデザインであまり重要ではないと思います。が、音の演出、人々を追い立てる角笛のような声、複雑な破壊音の混じった地響きを伴う足音、熱線のソニックブームといった単純な音の組み合わせ。それらはもしかするともっと別の音なのかも知れないけれど、『混乱した主人公の耳に聞こえた音』を演出するかのように、単純で激しい振動でした。

 親子の愛。ハリウッド映画の定番テーマ、どこにでも必ず引っ付いてくるテーマのようですが、この映画ではむしろ『恐怖を煽る』要素にもなっているように見えます。もし主人公が独りなら、これほど恐怖を感じることは無かったでしょう。

 トム・クルーズ。私は監督や出演者で映画を観たりはしないので、誰が出るかなんてハッキリ言ってどうでも良かったのですが、トム・クルーズのダメな父親っぷりが最高でした。無駄な肉をつけて、何も出来ないくせにプライドは高く、思い遣りに欠けているくせに愛情を感じたい、そんな父親を見事に作り上げていました。飛び切り素晴らしい演技を見せたり、目立ったりするわけではなく、あくまでこの世界の一住人でありつづけていました。そして子守唄の一つも歌ってあげられない父親に涙しました。でも、世間はダコタ・ファニングを賛美するでしょう(笑)

 侵略宇宙人の最後。ネタは原作と同じ。『昔のSF映画の冒頭』をオマージュしたような冒頭から行くと、最後は同じネタで終わるのが当然でしょうね。あくまでリメイクとして存在していました。ただ、流石に宇宙人も他の惑星の微生物を全く調査しなかったというのはどうかと思うところですが、『かつて地球を訪れたことがある』ということと、『人間の手で進化を促進されつつある病原体に対する警鐘』ということを考えたら、まあ、これはこれでも良いかなと思います。

 終わり。パニック映画の終わりは静かにあるべき。たとえそれが恐怖の始まりでも、終わりでも、静かに終わるのがいい。


 この映画で感じた感触は、昔から夢に出てきた怪獣、怪物から逃げ回る恐怖そのものでした。現実に生活する空間が舞台となって、相手の姿形よりも、臨場感そのものに追い立てられる恐怖。そんなパニック映画を以前から望んでいましたが、ようやくスピルバーグがやってくれたのです。こんな嬉しいことはありません。最高です。