(ライトファンタジーの)線はどこぞ議論

…というのがnamakoで流行ってるので乗ってみます。

 結論から言うと、普通に『人によって違う。作者がライトファンタジーを自称している場合以外はそれに分類しないのが無難。』かな。

 まあ、ファンタジー小説なんてほとんど読まなく、具体的なとこはわからないのですが、ペラペラの設定や用語が出るだけでも興醒め>ライトファンタジーに分類ってなってしまうような人間なのであまり参考にはならないかも。


 ファンタジーにもいろいろあって、そのジャンルだけで一概にライトファンタジーとは言えないと思ってます。けれど、実際に作品を観る・読むと、『立派にファンタジーじゃないか!』とか『これじゃライトファンタジーじゃん』という瞬間が実際に自分にはあります。

 ファンタジーというのは空想の物語です。現実には存在しないものを描くわけですから、ただ『これはグリフィンです』では話にならない。現実には無いものを、受け手に理解できるように作る必要がある。空想したものに如何に存在感を持たせるかがファンタジーの最も重要な部分だと思っています。

 設定を詰めたり、用語に深い意味を持たせたり、空想の世界の中の登場人物としてのキャラクター性を豊かにしたり、いろいろと存在感を持たせる方法はありますが、どんなことでも良い、そんなこだわりを持って作られた作品は、『ファンタジー』として十分価値があるでしょう。逆に、詰めの甘い作品、雰囲気作りの下手な作品、登場人物が空想世界のそれとは思えない作品、こういう作品はやはりライトファンタジーと思われても仕方がないかも。

 逆に、ファンタジーとしての存在感を、作る上で面倒だとか、必要ないとか、作る自信が無いとか言う人は、ライトファンタジー作家を自称してたりするのではないでしょうか?


 まあ、そういうわけで個人個人でその辺の分け方は違うと思っています。例えば、ライトファンタジーと似たような分類を持つ物にジュブナイル小説があります。私はギンエー伝をジュブナイル小説物としか思ってませんが、多くのファンはそうは思わないでしょうwww それと同じです(笑)

追記

 存在感を訴える上で、やはりイラストレーションは非常に力があります。海外のイラストレーションはどれもとてもリアリティや説得力があるものが多く、それだけファンタジーとしての価値も高く評価されると思います。逆に、日本はアニメ調のイラストレーションがやたら多く、ライトファンタジー作品が氾濫しているように見えます。

 マンガや映画も存在感という点では素晴らしいと思います。ただ、映画はそれだけ資金が要るのでおいそれとはできませんが…。

 一般ピーポーが言う最高のファンタジー、ハリポタとかファンタジーとは縁遠く、ただの学園物にしか見えない。やっぱり何より主人公に存在感が無い!!というのは致命的だ。せっかく小道具にこだわっても(といってもハリウッドレベルだが…)雰囲気ぶち壊れでダメダメです。3作目の映画はファンタジーだったけど。